初めて観たのが、第3話「八ッ原の怪人」。オモシロそうで、哀しげで。その次の「時雨と少女」は、結構びびりながら(怖いものは元来苦手だ)、・・・で、2回録画したものを何となく消去してしまった。
が、第6話の「雨と燕」を観た時、いきなりはまった。
夜ぼんやりと録画番組の整理などしていたのだけれど、観終わった瞬間、もう一度最初からリピートしていた。オープニングはついつい飛ばしてしまうのだけれど、歌が結構よかったので観てたら、一瞬の表情にやられてしまった。
主人公が肩に乗せた猫に、視線をやって(なんてすてきな流し目)から、前方を見やるシーン。これにやられた。滅多にしないけど、思わずコマ送りで観てしまった。余談だが、コマ送りで観てしまうと、醸し出されていた雰囲気というのは、数割引になることを知った。
さて、「雨と燕」。
何があんなに心を捉えたのだろう。燕の一途さだろうか。妖怪との関わりをさして歓迎しているとも思えない主人公の「情」だろうか。そして、何だかんだ言いながら、主人公の思いに手を貸す妖怪の心情だろうか。
ダムの水底に沈みゆくことを望む心。人がいてもいなくても、そこに在るもの。存在し続けるもの。たとえ人が捨て去っても、そこを依り処にする存在。
そして、要らぬ能力がとらえた、人知れぬ思い。力が負のものでなく、届かぬ思いを届けるものとして存在し得たこと、そう在れたことのうれしさ?
村が再びダムのそこに沈んでも、ずっと残るぬくもりに、ほろりときました。
感情が、極彩色じゃない。パステルカラーのような曖昧さ。まるで、その画像のように、淡雪のような。
繰り返して見たくなるその不思議さに、気付いたら、虜になっていた次第。
クーラーや氷のようでなく、風鈴を鳴らすそよ風や、打ち水のような心地よさ。
とりあえず、私にとって、今夏一押しのアニメとなった。
因みに、第5話は、録画リストの中にひっそりとあり、微笑ましく観つつ、子ども達と一緒に観ていくことにした。
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