プロになりきれない主婦う〜さんが綴る、日々のあれこれ。

2008年8月28日木曜日

儚い光(夏目友人帳)

 蛍の可憐さと、桑島さんのちょっときつめの声が妙にアンバランスで、かえって切なかった。
 これは、・・・これはガキ共にはわからないだろうなぁと、おでかけ後の疲れで却って寝付けなかった夜、リアルタイムで観た。
 人魚姫を、思い出した。まぁ、あれは、男の方がでくの坊だったけど、この話はなんというか、どうにもこうにもやりきれないというか。
 常ならぬものを見てしまう力からの突然の解放は、その当人に何をもたらすのか。夏目が水辺で出会った人は、心寄せるものとの突然の別れであり、蛍にとっては、愛するものとの決定的な違いを全て見ることになるという、残酷なようなのだけれど、ある意味自然の摂理というか。
 いつかその力から解放されるかも知れない。それは、本来の彼にとって望ましいことではあるだろうけれど、同時に大切なものとの決別にもなる。
 異なる世界に身を置きながら心寄せ合った二人の別れが、いつか来るかも知れない未来の自分に重なる。
 そう、きっと、今の一瞬も、全てが今までという過去の積み重ねでできている。そんな当たり前のことが、当たり前なのに、切なくもある。
 あぁ、だから、第2話で露神さまは心おきなく、彼女と共に消えることができたのか。
 燕は、切ないけど温かくて、蛍は、本当に儚く散っていったけれど、何故か心落ち着いた感じがした。もう、あんな哀しい思いはしなくていいね、と。

2008年8月21日木曜日

夏目友人帳

 初めて観たのが、第3話「八ッ原の怪人」。オモシロそうで、哀しげで。その次の「時雨と少女」は、結構びびりながら(怖いものは元来苦手だ)、・・・で、2回録画したものを何となく消去してしまった。
 が、第6話の「雨と燕」を観た時、いきなりはまった。

 夜ぼんやりと録画番組の整理などしていたのだけれど、観終わった瞬間、もう一度最初からリピートしていた。オープニングはついつい飛ばしてしまうのだけれど、歌が結構よかったので観てたら、一瞬の表情にやられてしまった。
 主人公が肩に乗せた猫に、視線をやって(なんてすてきな流し目)から、前方を見やるシーン。これにやられた。滅多にしないけど、思わずコマ送りで観てしまった。余談だが、コマ送りで観てしまうと、醸し出されていた雰囲気というのは、数割引になることを知った。
 さて、「雨と燕」。
 何があんなに心を捉えたのだろう。燕の一途さだろうか。妖怪との関わりをさして歓迎しているとも思えない主人公の「情」だろうか。そして、何だかんだ言いながら、主人公の思いに手を貸す妖怪の心情だろうか。
 ダムの水底に沈みゆくことを望む心。人がいてもいなくても、そこに在るもの。存在し続けるもの。たとえ人が捨て去っても、そこを依り処にする存在。
 そして、要らぬ能力がとらえた、人知れぬ思い。力が負のものでなく、届かぬ思いを届けるものとして存在し得たこと、そう在れたことのうれしさ?
 村が再びダムのそこに沈んでも、ずっと残るぬくもりに、ほろりときました。

 感情が、極彩色じゃない。パステルカラーのような曖昧さ。まるで、その画像のように、淡雪のような。
 繰り返して見たくなるその不思議さに、気付いたら、虜になっていた次第。
 クーラーや氷のようでなく、風鈴を鳴らすそよ風や、打ち水のような心地よさ。
 とりあえず、私にとって、今夏一押しのアニメとなった。
 因みに、第5話は、録画リストの中にひっそりとあり、微笑ましく観つつ、子ども達と一緒に観ていくことにした。

2008年8月6日水曜日

ようこそ、我が家へ

 休眠状態の本家の代わりに、言葉を吐き出す場所を求めてみた。
 勢いよく開設したものの、既に腰が引けてる感もあるが、焦らずぼちぼちいってみよう。
 とりあえず、好きなものについて、つらつらと書いていこう。